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短編だからこそ際立つ不意打ちの心地よさ 奇想を味わう収穫3点

鬼才がしかける油断のならない急展開

 矢部嵩は血まみれの学園小説『保健室登校』や、ユニークな魔法少女もの『魔女の子供はやってこない』などで知られるホラー界の鬼才。久しぶりの新作となる『未来図と蜘蛛の巣』(講談社)は、24編のショートショートと劇団を舞台にした中編「エンタ」からなる作品集で、著者の特異なセンスがいかんなく発揮された一冊である。

 巻頭の「日陰」にまず驚く。主人公の私は同じ大学の酒木さんと仲良くなった。一度酒木さんの家に行きたいと思っている私だが、「うちは駄目なの」「汚れてるの。絶対呼べない」とかたくなに拒絶される。しかし一緒に外出していて熱中症になった私を、酒木さんはついに招いてくれた。そのマンションは居心地が良く、どこに問題があるのか私には分からない……。ここから先は読んでのお楽しみだが、思わず「えっ!」と声が出るような結末が待ち受けている。いったい自分は何を読まされたのか。唖然呆然した後に、怖さがぞわぞわと這い上がってくる。

 それ以外の収録作も、すべて思いも寄らない展開を含んでいる。「日陰」のように結末に置かれていることもあれば、真夜中にフォーマルな服に身を包んだ自動車が訪ねてくる「キャラバン」のように、冒頭にいきなり置かれていることもある。ごみ収集車に飲み込まれた主人公が、地下空間で兎の働く資源工場を発見し、そこで世界がもうすぐ終わるというニュースを耳にする「乾燥機」のように、角度の急なカーブが何度もくり返され、読者が振り落とされそうになる作品も多い。

 もうひとつの特徴は、ごく平然と登場人物の死や悲惨な事件・事故を扱っているということで、そのドライでクールな距離感が、特異な言語感覚(登場人物の名前が「屑子」だったり「テラス君」だったりする)とあいまって、ホラーとも悲惨小説ともブラックユーモアとも青春小説ともつかない異様な世界を作り上げている。全編を覆う蜘蛛の巣のモチーフが、不気味さをいっそう際立たせている点にも注目しておきたい。

魔術的雰囲気を漂わせるグロテスクで美しい幻想小説

 カナダ出身、スコットランドのエジンバラ在住の作家カミラ・グルドーヴァの第1短編集『人形のアルファベット』(上田麻由子訳、河出書房新社)にも、蜘蛛というモチーフが頻出しているのは面白い偶然だ。本書にはその他にもミシン、人形、缶詰などのモチーフが頻出し、13編の収録作をゆるやかに結びつける。

 グルドーヴァの作風を知りたければ、冒頭に置かれたわずか3ページの掌編「ほどく」を読んでみてほしい。ある日の午後、リビングでコーヒーを飲み終えた主人公グレタは、自分のほどき方を発見する。皮膚や髪がまるで果物の皮のように剥がれ、中から本当の身体が現れたのだ。その姿に夫は恐れをなし、グレタは向かいに住むマリアの部屋に引っ越す。本体をさらして歩く二人の姿に人びとは騒然とするが、やがて町中の女たちも身体をほどき始める……とあらすじを紹介しても、この衝撃はなかなか伝わらない。グルドーヴァはほどくという行為がもたらした世界の変化を、開放感を味わう女性たちと役目を終えたミシンとを対比しながら、ページに焼き付けている。

「ワクシー」は幻想文学の権威ある文学賞、シャーリイ・ジャクスン賞を受賞した短編だ。男たちは試験(何の試験かはよく分からない)を受けて報酬を得、女たちは工場などで働いてその生活を支えるという世界が舞台。相手の男がおらず肩身の狭い思いをしていた主人公は、路上に座り込んでいた若者を見つけ、自分が住む台所に連れ帰る。やがて2人の間には蝋のような(=ワクシー)赤ん坊が生まれるが、そのことが同居するカップルとの間にトラブルを引き起こす。

 これらは抑圧された女性を描いたディストピア風の物語、と読むこともできるが、本書においてグルドーヴァは男女の別なく(そして人間と人間以外の区別もなく)軽視され、言葉を奪われた者たちに等しく目を注ぎ、そのままならない生活の中からシュールで奇想天外、残酷ながらユーモラスでもある物語を汲み出してみせる。

 屋根裏部屋のミシンが、ピエロや天使の幻影を浮かび上がらせる「アガタの機械」に代表されるように、古びたオブジェが重要な役割を果たすのも本書の大きな特徴。命なき物たちが動き出し、言葉を発するかのような魔術的な雰囲気は、たった2行で書かれた表題作「人形のアルファベット」にひときわ顕著である。グルドーヴァの小説では思いも寄らないことが次々に起こるが、その筆致はあくまで静かで、暗い不穏さをいつもまとわせている。

現実のバグを怪談として伝える

 3冊目は怪談を。『妹が死んだ時の海亀』(竹書房怪談文庫)はホラー小説と実話怪談の両ジャンルで活躍する朱雀門出の最新怪談集である。実話怪談とは体験者への取材をもとに構成された怪談のことで、ノンフィクションとフィクションのはざまに位置するような文芸ジャンルだ。近年は数多くの書き手がいるこの分野で、朱雀門は風変わりな怪談ばかりを執筆して異彩を放っているが、本書もその例にもれない。

 読んでいてまず気づくのは、怪談であるにもかかわらず、幽霊目撃談がほぼないということだ。その代わりに世界のプログラムが誤作動を起こしたような、奇妙で不可解な体験談が数多く収められている。たとえば「受け子を追いかけて」というエピソード。振り込め詐欺の受け子らしき人物を追いかけていた大学生が、突如胸の痛みを覚えて公園で休んでいると、スカートを穿いた女性に声をかけられる。そのスカートの中からはトカゲかワニのような頭が覗いていたという。あるいは「横倒しのやしろ」という話では、地震によってある家のタンスが倒れ、後ろの壁から小さなドアが見つかる。おそるおそる開けてみると中には、横倒しになった小さな神社が入っていた。ほどなくその扉は消えてしまい、スマホで撮影した写真には裸でうつむく体験者自身が写っていたという。

 この本が記録しているのは、表だって語られることはなく歴史に記されることもない、社会の切れ端のような部分である。夜の公園でしゃべる生首を見た(「焚き火を囲む首」)、父親が首輪をつけてニホンザルに連れ回されていた(「猿の人 二題」)、自宅マンションで男性器の落とし物を見つけた(「エレベーターにちんちんが落ちていた話」)など、朱雀門が怪談として伝えなれば永遠に消え去っていたはずの逸話の数々。

 実話怪談はフィクションにはない生々しさや不条理感覚が魅力とよく言われるが、奇妙奇天烈な体験談ばかり丹念に蒐集している朱雀門の実話怪談は、一周回って奇想小説に接近する。各話それぞれ数ページ、不意打ちのような展開が続く全65話。怪談とはここまで幅広いものなのか、と一読驚かされるはずだ。