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加門七海さん「蠱囚の檻」インタビュー 現代に息づく呪術・オカルトを描く

イタリア・ボローニャ大学主催「NipPop 2025 – INTO THE DARK」にゲスト参加した加門七海さん=2025年6月

「蠱毒」の実際の使い方は

――現代に息づく「呪術」の世界をサスペンスフルな事件とともに描いた『黒爪の獣』から約10か月、シリーズ続編にあたる『蠱囚の檻』が刊行されました。当初からシリーズの構想はあったのでしょうか。

 続きを書けたらいいかな、くらいの気持ちではいましたね。ありがたいことに『黒爪の獣』が一定数の読者に受け入れられて、SNSでも話題にしていただけたので、割とすんなりシリーズ化しましょうという話になりました。

――オカルトや風水に関する知識が盛り込まれているのがシリーズの魅力。前作の『黒爪の獣』では呪術的結界が、『蠱囚の檻』では「蠱毒(こどく)」と呼ばれる古い呪術が扱われています。

 2作目ではぜひ蠱毒を書きたいという気持ちがありました。蠱毒に関しては1990年代に『蠱(こ)』という短編集でも取り上げたことがあるんですが、あれはかなりアレンジした形だったので、伝統的な呪術として一度しっかり書いておきたかったんです。蠱毒はマンガなどにもよく登場するので、皆さん名前くらいは知っていると思いますが、実際の使い方は知らない人も多いと思います。

――新宿署の刑事・魚名二郎は、友人との会食後、急に具合が悪くなり、歌舞伎町のマンションで占い師を営む・柘植悠希と水月のマンションに転がり込みます。その様子を見た悠希は、二郎が何者かに「蠱を放たれた」ことに気づく。放っておけば死ぬ、という危険な状況です。

 蠱毒は中国由来の呪詛法で、紀元前からあるとされています。蠱とはそのために作られた虫や生き物のこと。オーソドックスな作法として有名なのは、器に毒のある虫や生き物を入れて、最後に生き残った一匹を呪詛に使うというものですが、それ以外にも蛇だけを使ったり、シラミを使ったりといくつもの種類があるんです。わたしの読者はすでに“基本”を抑えている方が多いので(笑)、蠱を放たれたらどうなるか、どうやって対処するのかなど、他ではあまり書かれていない情報を盛り込むようにしました。

 

「NipPop 2025」のトークイベントに参加した荒川はるか教授、加門七海さん、Stefano Lo Cigno教授、Paola Scrolavezza教授(左から)

現在と過去、聖と俗が混在する歌舞伎町

――悠希に警告されても、二郎はなかなか呪術の存在を受け入れようとしない。『黒爪の獣』で不思議な世界を覗いた彼は、今でもオカルト否定派のままです。

 メインの登場人物がみんなオカルト肯定派では面白くないので、バランスを取るために二郎には否定派のままでいてもらいました。それにわたしが知る限り、一定数の人はそういう現象を目の当たりにしても、頑として否定し続けるものなんですよ。あるいは視線を逸らして無視をする。自分が生きてきた世界や常識が覆ってしまうので、拒否感を抱くんですね。その心の揺らぎみたいなものを、二郎を通して表現しています。

――一方、かつて呪術師の養父と暮らしていた悠希と水月の兄妹は、特殊な力を備えている。過去から逃れようとあがく悠希と、繊細な水月のキャラクターが魅力的です。

 これまではキャラクターを前面に押し出すことはしてこなかったんです。光文社文庫で出している『祝山』にしても『目嚢――めぶくろ』にしても、登場人物は恐怖を引き立てるための設定みたいなもので、キャラクターはあえて薄くしていました。今回は主要登場人物に特異な能力があって、それを使って事件を解決するという物語なので、悠希と水月のキャラクターを強めに打ち出しています。書いてみると自由に動いてくれましたし、そうなると愛着も湧いてくるものです。

――このシリーズで舞台になっているのは新宿・歌舞伎町。伝統的な呪術の世界と、ぎらぎらした欲望が渦を巻く歌舞伎町との組み合わせが面白いですね。

 新宿は「宿」というだけあって江戸時代の宿場町ですから、古くから栄えていたんですね。その流れを汲んで今の歌舞伎町がある。そういう歴史の積み重ねは、同じ東京の繁華街でも渋谷や池袋と違うところです。たとえば『黒爪の獣』にも書きましたが、古い神社が歌舞伎町のあちこちに残っている。現在と過去、聖と俗がぐちゃぐちゃと混在している歌舞伎町は、現代の呪術の世界を描くうえで使い勝手のいい舞台に思えます。

――二郎が倒れる前に訪れていたのは、「巴」という料理店。以前、その店を訪れた別の警察官が不審な死を遂げていることを知り、二郎は再び悠希のマンションを訪ねます。しかし悠希はオカルト的な世界に深入りしない方がいい、囚われてはいけないと警告します。

 オカルトとはそもそも隠されたという意味ですが、隠されていて構わないと思うんです。見えないものに理屈をつけて、それを信じて生きるというのは、普通の生活にとってノイズでしかない。気軽なおまじない程度のものであればどんどん実践してほしいですが、プロの領域に深入りしすぎると怖い目にも遭うし、取り込まれてしまうこともある。悠希は自分が呪術に縛られた人生を送っているので、なおさら二郎を遠ざけておきたいんでしょう。

 

加門七海さん

二郎と悠希のブロマンス的な関係性

――悠希自身も蠱毒に関わることを怖がっていますね。その反応がなんともリアルで、長年オカルトの世界を観察されてきた加門さんならではだなと感じます。

 悠希は特殊な能力を与えられただけで、万能のヒーローではないんですよね。だから怖がりもするし、危険は避けようとする。人間ですからそれは普通の反応ですよ。わたしも「加門さんは幽霊が怖くないですよね」とよく勘違いされるけど、幽霊が見えていても怖いものは怖い。

――やがて悠希の周辺で殺人事件が発生。二郎は捜査にあたることになります。警察組織や捜査のシーンが出てくる作品は、加門さんには珍しいですね。

 とにかく警察は書くのが大変でした。新宿署にしないで架空の部署にしておけばよかったと後悔しています。組織図が複雑ですし、当然警察署のフロアガイドなんて公開されていませんし、あれこれの資料と想像を組み合わせて書くしかない。呪術や風水を書くのとはまた違った苦労がありました(笑)。ただ意外に思われるかもしれませんが、この手のジャンルは結構好きなんです。学生時代に一番読んだ作家はダシール・ハメットでしたし、ハードボイルド小説への憧れはずっと持っていたんですね。

――反発しあう二郎と悠希が、事件を通してお互いの存在を認め、絆を深めていく。2人の関係性は最近の言葉でいうブロマンス的な雰囲気があります。

 わたしは香港ノワール映画の直撃世代なんですよ。ジョン・ウーの『男たちの挽歌』などが大流行して、わたしもどハマりしました。『男たちの挽歌』は高倉健主演の作品をはじめとした任侠映画に影響を受けたものらしいですが、そういう男性同士の関係性を描いた作品は、ブロマンスという言葉が生まれるより以前から沢山あります。特に流行を意識したわけではないですが、そこが読者に受けているようで良かったです。

――本の帯には「呪術×サスペンス」と書かれていますが、二郎たちの前に立ち塞がる呪術師の存在感はかなりホラー。恐怖の要素も見逃せない作品です。

 巴に関するシーンは、ちょっとホラーっぽいかな。前回の『黒爪の獣』は素人でもその気になれば実践できる呪術でしたが、今回はいわばプロ仕様。呪術師につけ狙われる怖さを味わってもらえると思います。ちなみに護符や呪文など、蠱毒に対抗するための手段がいくつか出てきますが、あれらはほぼ本物、資料を調べて書いたものです。

加門七海さん

ずっとホラー、怪談、オカルトを書き続けたい

――前作以上に濃厚なオカルト要素と、サスペンスフルな事件、キャラクターの魅力が相まって、一気読みのエンターテインメントに仕上がっています。書き終えての手応えは?

 このシリーズで初めて加門七海の本を手に取ったという方もいらっしゃいましたし、SNSでファンアートを描いてくださる方もいて、これまでと違った層まで届いているのが嬉しいです。それは時代の変化もあるのかなと思っていて、一昔前まで大人向けの小説でこの手の作品は歓迎されなかったんですよ。書いても馬鹿にされるか、白い目で見られるという時代が結構長くありました。でも最近は一般小説でも幽霊や超常現象が当たり前に出てくるし、特殊な能力を備えたキャラクターも、当たり前に活躍するようになった。このシリーズがすんなり受け入れられたのには、そうした状況もあるのかなと。

――前作『黒爪の獣』では素人が呪術に手を出すことの怖さが書かれていましたね。しばらく前から呪術がブームですが、そうした状況はどうご覧になっていますか。

 悪いことではないと思いますよ。オカルト系の動画を見ていて「よせばいいのに」とひやひやすることありますが、それはその人の責任で(笑)。博物館の展示や書籍を通して呪術の面白さが広まることは、長年この分野を愛してきた者として嬉しいです。できれば一過性の流行ではなく、地に足のついた形で定着してほしい。それはホラーや怪談でも同じですよね。ばーっと広まって数年後消えるんじゃなくて、ずっとひとつの流れとして続いていってほしいと思います。

――加門さんは1992年のデビュー以来、一貫してホラーや怪談、オカルトの世界を書き続けてきました。小説界広しといえども、加門さんのような作家は珍しいと思います。

 半ば意地みたいなところもあるのかも。おばけが見えるとか霊がいるとか言うと全否定される時代に育って、作品にすることで初めて認めてもらえたという実感があった。心霊やオカルトを肯定しろと言う気はありませんが、そういう世界もあるんだということを知ってほしい思いは一貫してあります。長年同じことをしていると、それが加門七海の色になって、一定数のファンがついたり、新たな仕事に繋がったりする。ありがたいことですね。

――今後ホラーや怪談、オカルト以外のジャンルを書くご予定は?

 興味がないことは、いくら頼まれても書く気が起こらないので……。自分が楽しく書ける題材ならどんな依頼も受けますが、それはやっぱり心霊とかオカルト関係なのかな。せっかくホラーや怪談でデビューした人も、途中から別のジャンルに移ってしまって、怖い話を書かなくなる人も多いじゃないですか。それはとても淋しいので、わたしはずっとこの場所にいようかなと思っています。